「飲みニケーション」は間違いじゃないか

部下とよく飲み行く上司はどんな組織にもいるでしょう。

 

僕自身お酒は好きなので、毎日でも飲みに行きたいと考えるくらいです。しかし、最近お酒についてよく考えるようにしています。

 

僕は最近、飲みに行くことは本当に良いコミュニケーションを築けない理由の一つになっているかもしれないと考えるようになりました。

 

飲みに行く=良いコミュニケーションと思っている人は要注意だと思うのでぜひ話を聞いてください。

 
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飲みニケーション

一昔前に「飲みニケーション」という言葉が流行り、上司と部下が飲み行くことでコミュニケーションが生まれるとされていました。

 

お酒の場での砕けた雰囲気の中、部下が普段上司に話せない悩みやプライベートのことなどを話せる機会として使われることが多かったそうです。

 

僕の所属する応援団でもこのような状況をよく目にします。応援団は昔も今も変わらず酒飲みの集団ですから、プライベートでよく飲みに行っています。

 

しかしながら、あの飲み会で得られたものは何かと考えると特に何も得られなかったという場合が比較的多いです。酔って最後の方をほとんど覚えていないということも多々あります。

 

それでもなお、飲みに行く=良いコミュニケーションと考えられているのはなぜなのでしょうか。

 

リラックス効果があるような錯覚をしている

酒は少量だと血流を良くし健康に良いとされていますが、最近どこかで読んだ記事によると少量でも健康に悪いという実験結果が出ているそうです。

 

その場ではリラックスしているように感じますが、次の日のパフォーマンスは確実に下がっています。(二日酔いなど最悪ですよね。)

 

砕けた場でワチャワチャいろんなことを話すと、悩みがなくなった気がします。それも次の日には大半を忘れています

 

僕は、飲みに行くことは良くも悪くも思考能力を鈍らせることだと思っているので、飲みに行くことと悩みを聞くことは本当に意味で絶対に両立できないと思うのです。

 

本当に良いコミュニケーション

では、本当にコミュニケーションが取れている状態とはどのようなときでしょうか。

 

それはズバリ飲みに行かなくても、仕事の場で悩みなどを言える関係を築くことです。

 

そのような関係を築かず、仕事の場ではあまり会話を交わさないのに、飲みに行くとペチャクチャ喋り、最終的にあまり覚えていないというのは最悪です。

 

それよりかは、普段の場で部下の悩みをメモなどを取りながらじっくり聞いてあげられる方がよっぽど良い関係だと思うのは僕だけでしょうか。

 

部下を平等に見る

僕の大学生活3年間を振り返ると飲みに行くメンバーはだいたい同じような気がします。僕だけではなく皆さんも同じではないでしょうか。

 

それは人間ですから、この人とは気が合うけど、この人とは合わないなどの好き好みがあります。ですから、普通は仲の良い部下とのばかり飲みに行ってしまうのです。

 

すると、仕事の場でどちらの部下を起用するかと考えたときに私情が挟まってきます。気が合わない部下のほうが優秀なのに、自分と気が合う部下を上のポストに上げてしまう。

 

それでは、組織の質が低下していくでしょう。部下をフラットな基準で見るためには、飲みに行かないことがベストなのです。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。

 

部下と飲みに行かない。これから飲みニケーションの文化は消えていくと思います。

 

それでも良い関係が築けるように、部下の目を向け行動していってください。

 

この記事が部下とより良い関係を築きたいと考えている人の参考になればと思います。それでは。